李恩飛:上京歴史ハウス

私は先学期からつづけて、上京歴史ハウスという町家で ボランティアをしています。今学期はまだ一回しか行っていないですが、本当に良い経験だと思います。私はまだ日本語も上手ではないし、町家についても良く知らないので、歴史ハウスに行っても、だいたい観光客のように ボランティアさんの説明を聞くことしか出来ないです。しかし、いつもおもしろい観察が出来るので毎週楽しみにしています。先日行ったときは私以外にほかの ボランティアも3人いました。その人たちは、京都に住んでいて、この都市の歴史についても町家についてもよく知っているので、ひまな時、町家に来て観光客に案内してあげていました。おもしろいことに、私が行くたび毎回違う ボランティアさんが来て、自分の知識を教えてくれました。そして、先学期のブログにも書いたように、毎回東京やら京都やら、いろいろな場所から来て、町家に興味を持っている観光客も多かったです。ボランティアさんたちも観光客も、個人的に京都という町に興味を持って週末にも町家まで来るのを見たら、どうして京都が世界的に有名なところか分かります。京都に来る前までは、この町はたぶん日本の政府が観光産業で経済を発展させるため宣伝しただけのことかもしれないと思っていました。もちろん日本史の中では千年以上の間日本の首都として大切なところでしたが、今でもこんなに世界から関心を持たれているのはマーケテングのせいだと思っていました。しかし、日本人が京都の有名な神社やお寺だけではなく、小さい町家にも来て関心を示しているのをみたら、私の考えが間違っていたことがわかりました。たぶん、京都の魅力は観光ガイドブックにある所や祭りだけではなく、心から京都を自慢して、京都について学んで、京都の知識を共有している人々ではないかと考えています。

Eun Bi Lee: Kamigyo History House

For reasons I’ve already explained, or rather complained about, in the previous blog post, I had a pretty late start to my CIP. I felt rather unmotivated by the time I first visited my CIP site because it had not been my own choice to participate at that particular place, but more of a last minute option given that half of the semester had already gone by without me having done anything other than writing polite emails and wandering around Doshisha campus hoping that a student sadoubu would welcome me. In any case, the CIP activity I am currently involved in is volunteering at a machiya called Kamigyo History House. After the very first week, I still had my doubts for I couldn’t exactly understand the purpose of the machiya. Of course, we had learned in our Japanese class that the city of Kyoto has implemented laws for the purpose of protecting and preserving the remaining machiyas, and consequently maintaining the status of Kyoto as the ultimate touristic spot in Japan. While it was obvious that the core purpose of this particular machiya was to provide information to tourists regarding the traditional way of life and architecture of an ordinary house from back in Heian period, its location made it hard to see the practicality behind investing resources and sacrificing possible profit by preserving the machiya. Sequestered from the busier part of the city by tall mansions and combinis, this machiya is quite difficult to find, especially for tourists. I myself got lost and walked around in circle for about half an hour within a couple of blocks of the machiya until a 日本人 volunteer came to my rescue. To my surprise, however, visits from Japanese tourists – some coming all the way from Tokyo – frequented whether it was their genuine interest in machiyas or the pouring rain that drove them to stop by. Moreover, the fact that it has not been commercialized like many other touristic spots in Kyoto meant that it was run entirely by the sponsorship from the private owner of the machiya and by the volunteers, who were usually old ladies incredibly knowledgeable about Kyoto, its history and its traditions. It has been interesting to observe how so many different players come together harmoniously for the sake of preserving a piece of the past. I have come to enjoy my time spent at the machiya, whether assisting other volunteers give information to tourists or helping the director with the various lectures and events, because I believe I have been able to witness one of the core values of Kyoto, and probably of Japan – appreciating the past and learning from it, rather than solely deeming it as old fashioned.

ユンビー・リー:上京歴史探訪館でのボランティア

最初よつくら先生がCIPについて説明してくださったとき、ログの紙と一緒に厚いブックレットをくれました。それは最初にCIPについて連絡するために使わなければならない形式をよく説明している本でした。何週間か、私はそんなブックレットはどうしているかあまり分かりませんでした。私たちはもう大学生なので,他の人に丁寧に書くべきや話すべきことをよく分かっていると思ったからです。アメリカとかメキシコにいたときにも新しいクラブに入りたかったら従わなければならない方法があるので,私がしている方法とあまり違わないと思いました。しかし,今KCJSが始まってからもう7週経ったけど何も出来なかった私の意見は最初と変れりました。そのブクレットは本当に日本の文化を象徴する本だったと思います。
最初、自分の興味と趣味をどんなサークルとクラブで探すか分からなかったので、外国人の観点から日本の文化をよく象徴する茶道部に連絡しました。連絡するためにもブックレットの指示に従わなければならなくて、メールをおくる前にも内容が十分に丁寧かどうか先生にチェックしてもらわなければなりませんでした。チェックの後でメールを送ったけど、茶道部に参加することは簡単ではありませんでした。参加資格は部長の許可をもらわなければならなかったから、 連絡するだけだったのに私が思ったより時間がかかりました。最終的には 許可をもらいましたけど、それはもう2週経った後でした。どうして初めから部長のメールにれんらく出来なかったか分からないですけど、そんなに簡単だったらブ ックレットも先生の助けもいらなかったかもしれないので、たぶんそれは本当に日本的な方法と経験ではないかと思っています。
しかし、何週間か待った後ついに参加できる日が来たけどほかの問題が私を待っていました。私がメールでよく説明できたかどうか分からないけど、初めて行ったとき茶道部の部長は私に、茶道部に入ることは出来ないといいました。びっくりして、どうしてか聞きました。部長は、一回参加することは良いですけど、二年とか四年間入られなかったらだめだと言いました。もう一度、どうしてそんなことをメールで説明しなかったのかはまだ分かりません。メールでは「いいえ、出来ません」って言うことを日本人は書かないのでしょうか?もちろん、私が連絡したときに自分の目的をよく説明しなかったかもしれないけど、そうだったらなぜ私が着いた時にクラブには入れないと言ったか分かりません。残念ながらブックレットにはこんな場合にどうするかは書いてありません。
KCJSが始まってからもう5週経ったけど、CIPをするところははまだありませんでした。しょうがないので、先生の提案で町家探訪館のボランティアに決めました。しかし、それも私が自分で町家探訪館に連絡することはだめでしたのでほかの先生が連絡して許可をもらうまでに待たなければいけませんでした。それも一週間ぐらいかかりました。それで、今まで7週間日本式の連絡方法とブックレットを従って何も出来ませんでしたけど、来週本当に参加できる日を待っています。もちろん、もっと活動的に探さなかったので私にも問題があると思いますけど、こんなに長いしょりにちょっとがっかりしました。しかし、来週からは何でもするつもりですので本当に楽しみにしています。時々どうしてか分からないこともあったけど、それは全部日本の文化と方法の部分だと思って、こんな経験を通して日本について勉強していると思いたいです。