メーガン・ターリー:弓道

毎週、日曜日と木曜日にカマラタさんとガムさんと一緒に弓道をしています。始めは、矢を全然使わせてもらえませんでしたが、先週から弓道をし始めて、初めて弓と矢も使わせてもらえるようになりました。私達はすごく嬉しくなりました。先生は優しくて元気な方で、何か分からない時、いつも助けてくださいます。先生は私のことを「一番弱い学生」と言っていらっしゃいましたけど、 この頃 先生は他の先生に私達について「上手になったよね」とおっしゃっています。もっと上手になったら、先生と袴を買いに行きます。そうしたら、練習する時袴をはかなくてはいけませんから、私達は学生でも袴をはくつもりです。

川口先生と私

弓道のお稽古はすごく楽しいですけど、他のアメリカ人と一緒にしていますから、多分一人で CIPをしている学生に比べたら、経験はちょっと違うと思います。違うと言っても、まだ日本ならではの経験ができます。例えばこの前、武道センターに行ったところ、先生が買い物をしていらっしゃったので、いらっしゃいませんでした。それで、自分たちだけ練習をし始めました。でも、練習が終わりそうになった時先生がお帰りになりました。だから、私達は練習するための道具をぬいで挨拶をしなければいけませんでした。その後で、練習のための道具をもう一度つけて、五分ぐらいだけ練習しまた。私達がこれは日本らしい習慣だと思いました。でも一方で、先生は私達に携帯電話のストラップを買ってくださるような方ですから、もちろん厳しくありません。私達三人はこれからも弓道を続けています。KCJSの終わりまでに袴をはけるようになるかもしれません!

出来た!

カマラタ:弓道

大学に入った時から剣道を練習していましたから、初めはCIPのために剣道のサークルに入りたかった。でも、CIPについて考えていたら新しいことを習いたいて思うようになりました。弓道にいつも興味があって、同志社大学の近くに弓道の道場がありますので、弓道を始めました。

弓道は現代の武道のスポーツですが、最初の弓を打つ絵は弥生時代に書かれました。侍が政権を握た時に弓道はもっと大切になって、最初の弓道の流派は源平時代に作りました。ポルトガル人が日本に火器をもたらしましたから、弓を使うのは少なくなりました。それから、弓を使うのは武道とスポーツだけになりました。今世界で、五十万人ぐらい弓道家がいます。

私はターリーさんとガムさんと一緒に一週間に二回京都武道センターに行って、弓道をやります。道場に入る時に、先生を待ちます。先生にうなずいて、じゅんびを始めます。自分で弓を作って、練習します。川口先生は私たちの問題を直して、アドバイスをして下さいます。

もちろんまだ弓道は下手ですが、楽しんで練習して早く上手になりたいです。

アンジェリカ・ガム:弓道と合唱団

私は弓道と合唱団をやっているAJだ。CIPを探していた時に二つとも興味がありましたが一つしか選べなかったので、両方をすることにした。このせいで一週間にCIPに四回も行っているが、今までやったことは楽しかったので、そんなに気にしていない。むしろ、こんな忙しさが大好きだ。

弓道というのは弓を使って、的に矢を打つスポーツである。だが、スポーツというより、弓道は日本の文化の一部だと思う。なぜかというと、スポーツと呼ばれても、結果より方法の方が大事だからだ。昔、弓道は戦争の一つの戦い方だったが、今の弓道は一つの瞑想の方法として使われている。弓道の一つのことわざは:「一射入魂 正射必中」。つまり、一発で全力で全魂を入れて打つことである。的の真ん中に当たらなくても、形が良かったら、それで十分なのだ。

毎週エミリーとメガンと一緒に京東部道センターで練習している。アーチェリーをやったことがあったが、弓道は初めてだった。期待通り最初から弓を待たせなかったが、思っていたより早く弓を触ることができた。私は失敗が多くて、弓の弦に手が当たって痛くなってしまうが、弓道のおかげで私の集中力が上がったと思う。

京大の合唱団に入った理由は二つある。先ず、日本人にあって友達を作ることだ。弓道の練習では、やはりみんなは練習に集中しているので、話すことはあまりできなくなってしまう。それに、私達の練習時間は他の生徒が終わってからなので、話す相手はほとんどいない。合唱団だったら、練習時間は他の日本人と一緒にやっているからこそ、友達も作れるんじゃないかなと思った。二つ目は、昔から歌うのが大好きだったが、大学に入ってから勉強とアルバイトで忙しくなって、合唱部なんて入ることはできなかった。でも歌は私にとってとても大事な物なので、もう一度やりたいと思って、京大の合唱団に入った。

京大の団員はみんないい人ばかりで、違和感なんてあまり感じられない。他の団員はお菓子をくれたり、イベントに誘ってくれたりしているので短い間だけかもしれないが、団員の一人として感じられる。そして何よりも、みんなは本当に音楽が大好きで、合唱団を大切にしているに違いない。その明るくてやる気まんまの雰囲気で練習するのが素敵だと思う。

毎日は確かに忙しいけれど、弓道と合唱のおかげで、その忙しい毎日は楽しく過ごせている。

アンドレア・メンドーサ:KPOPダンス

一月2009。少女時代の一番流行っている「GEE」という楽曲が出時に私はもう韓流という現象に二年ぐらい興味が持っていた。しかし、この一つの青春の恋についての愛の歌で、私のK−POPについて考え方がその封切りから変わってしまった。
少女時代といえば、いつも「GEE」と同じようなだんだん流行りつつあるダンスが連想されるが、実はこの時まで、こういう人気がありそうな踊りにはあまり興味がなかった。しかし、まるで一つの現象のように少女時代が韓国で毎週この歌と踊りで一番人気だったころに、私も前は無意味だと考えていた少女時代を大好きになってしまった。このダンスをみたら、私もその踊り方をまねしたくなって、K−POPのファンとしての、私の生活がだんだん変わってきた。「練習すれば 必ず私も少女時代の踊りをできるようになるはずだ」と考えて、毎日のように例の歌のビデオをみていたら、その特別な踊り方をまねることはできるようになった。その頃、AllKPopという英語の韓流についてのサイトが「GEE」のアルバムをもらうためにコンテストがあった。そのコンテストのトピクは「どうしてこのアルバムに勝ってほしい?」についてだったから私もそのコンテストに応ほした。
考えてみれば、勝つことは万が一のチャンスがだし、どうして入りたかったか今でも分からないが、たとえ、少女時代のファンではなくても、私は勝ちたかったのだ。
そして、コンテストに応ぼして、何百の応募作品の中で、私は27人の一人になった。
その時から、新しい韓流の音楽が出るたび、その特別の踊り方を練習するようになった。私がK−POPのファンだからだけではなくて、ダンスを覚えると、幸せになるからだ。それで、CIPとして、このK−POPのダンスクラスを見つけたことはラッキーだったと感じている。
実はこのクラスは、10~11人の中で、その中で若者は私一人だ。韓流は日本で、というより滋賀県では、おじさんとおばさんに人気があるらしい。
最初はびっくりしたものの、今はおじさんとおばさんと一緒にこの面白いダンスを学んでいることは楽しい。毎週関西弁の会話や少女時代について話すことを楽しみにするようになって、すごく良い経験をしていると思う。
(でも私のような女子大生から派手なおじさんまでK−POPが人気があるのはものすごく面白い)。

ナタニエル・スラトー:和太鼓とパルクール

去年の九月から、CIPのためにふたつの活動をしている。高校生のときからドラムに興味があるので、太鼓会に入ろうと思った。そして、大学に入ってからパルクールというスポーツに凝っているようになっているから、日本にいる間に続きたいと思ったからパルクールがするグループを探そうと思った。

「神若会」というのは、京都の北野天満宮の太鼓会ということだ。普通の太鼓会と違って、神若会は学生か会社が支えるグループではなくて、神社が支えて社会人で構造されているグループだ。ということで、神若会の練習の仕方や雰囲気は他のグループと違うと思う。性別、立場、年齢、経験を問わず、誰でも参加できる。たくさんの人(もっといい言葉がほしい、家族が三つ参加する)が家族として参加している。練習やイベントは二週間に一回ぐらい北の天満宮にある。太鼓は神社に納められて、練習の際に、みんなが一緒に出したり片付けたりする。みんなは練習に行く前に自分の役割を練習するのが普通だけど、新しい曲があればみんなと一緒に習うこともある。イベントは、交流会や演奏などがある。先学期には、3~4回ぐらいみんなと一緒に演奏できた。今年もお祭りで演奏する予定もできているらしい。

「Nagare Parkour」・「流れパルクール」というのは、関西地方のパルクールというスポーツのチームで、日本のパルクールのコミュニティーを建てるために、二週間に一回ぐらい大きな「ジャム」という会を行っている。大阪城公園や、大阪の鶴見緑地公園など、いろんなところで行っている。こういう「ジャム」というイベントで、「流れ」のメンバーは初心者のためのセミナーをして、パルクールの基本的な動きや一般的な考え方を教える。それから、みんなが30~50人ぐらい自由に練習したり、話し合ったり、遊んだりする。ちなみに、今週末も大阪城公園でジャムがあるから、楽しみにしている!


Courtney Crouch: You shoot with your Soul

Looking back, I remember deciding when I submitted my application last year that if I had the chance to come to Japan, I wanted to learn kyudou (Japanese archery). I would like to say that actually being here and being actively involved in a kyudou group is different from what I expected, but the truth is I never really had any expectations. It was just my community project, after all. However, kyudou has in many ways defined my experience here in Japan.

Perhaps most importantly, kyudou club was one of the few places in Japan where I felt like I really belonged. It is easy to feel like a gaijin (foreigner) in Japan, in part because one clearly looks different, but in greater part because, in my case, I understood only around half of what was said to me and closer to a tenth of the cultural concepts underlying Japanese life. In my kyudou club, though, before I was a foreigner, I was a student. If the rigorous traditions of the sport seemed alien to me, they were strange to the Japanese students as well. Moreover, the more I saw of those rigorous traditions the more I realized I was seeing an older framework on which the entire society appeared to be based. Having the uniform meant expressing a certain level of commitment, and by extension, truly entering the club. Once a part of the club, one’s education became the responsibility of all of its members, and so I was taught to bow properly, give greetings, excuse myself, and so forth. The deeper I delved into kyudou, the more life outside of the sport made sense.

The structure of the club itself also uniquely gave it a special place in my life. It consisted in large part of people older than me, middle aged or slightly older, with a few younger individuals who largely came in the evenings towards the end of my stay, and the sensei (teacher). Perhaps for this reason and since I inevitably knew no one’s name, I was mostly called ojō-san, meaning young lady. Foreigners looking in on Japanese society tend to use the word “family” to describe the various social organizations, and I would apply the same word here without hesitation. We were in many ways a family. When I first wore my kyudou uniform, most people came to congratulate me on the fact that it suited me well. Afterwards, they would occasionally fix me if I came in with my collar mussed or some tie misplaced, and took great glee in telling me to bicycle home without changing because “all the young women in the club do it that way.”

Moreover, their attitudes towards my quirks and successes were those of a family. The women tittered when I put on my knee boots beneath my hakama, and everyone together found their daily amusement in watching me drag five-minute conversations into thirty-minute ones due to a variety of comical misunderstandings. Everyone watched when I fired my first arrow at the outdoor targets, and everyone managed to somehow hold their laughter until I finished the entire ceremony after my arrow rebounded off of the roof nearly the entire 150 m back to the stage. Finding that I had a tendency to stuff my clothes into a paper bag at the end of the day, sensei found me a suitable cloth to bundle them into. Indeed, whenever I lack something, someone tends to show up with it in hand, and even now I worry that she will next show up with a pair of traditional sandals (I insist on wearing flip-flops).

I would like to conclude with some advice, perhaps, to anyone else who thinks they might be interested in kyudou; throw yourself in head first. I, being the oddball that I am, wore my uniform to school, and even added a kimono beneath it just for fun. I was embarrassed and nervous at first, but I was also proud. Learning Kyudou was never just about learning to hit a target with a bow and arrow; it was about the form, the mindset, and the people whom I stood beside as I released my arrows. I frequently stayed late to practice afterward when I could, since the stage cleared and the club quieted down as darkness fell. At that point I could relax before heading home for the night, and the sound of snapping arrow strings and nighttime insects will forever color my thoughts of the long winter evenings in Japan.

ナタニエル・スラトー:和太鼓とパルクール

来日にあたって、日本の文化か伝統に関して新しいことが学べる活動をCIPとしようと決めた。来てからすぐ、先生のおかげで北野天満宮の和太鼓グループの責任ŽÒの野々口さんに連絡できて、KCJSの他の二人と一緒にそのグループに参加し始めた。今まで太鼓練習会一回と交流会一回しか行‚¯なかったが、その経験で、そのグループと太鼓の練習が大分好きになった。本当に様々な人が和太鼓を叩く。子供も親も学生も働いている人もいるので、練習会はとてもにぎやかで雰囲気がいい。北野天満宮の太鼓グループは一週間に一回北野天満宮で集まるはずだそうだけれど、今まではそうではない。後でもっと定期的になるといい思う。

北野天満宮の太鼓グループ二週間に一回僕が好きなパルクールというスポーツもしている。まず気づいたのは、無料でスポーツができる所が京都で見つけにくいことだ。加えて、はめずらしくて日本では社会的に大丈夫かなと、最初はちょっとた。しかし、関西地方のNagareParkourというチームを見つけ9月から一緒にパルクールをしている。NagareParkourは二週間に一回大きな「ジャム」という練習会をしている。その練習会には色々なレベルのパルクールが好きな人が集まる上に、初心者のために小さいクラスもある。大阪城公園や京都西京極公園に行ってパルクールをした。

たったの6週間の間に、たくさんの体験ができて、二つの楽しくて優しいグループを見つけることができて本当にうれしい。アメリカに帰るまでこの傾向が続くといいと思う。

コートニ・クローチ:弓道 

昔から日本人は弓と矢を使う弓道と言うスポーツを練習してきた。元は戦争か狩りをするためだったが、今もたくさんの人が弓道をしている。それは、体にいい運動だし、日本の伝統的なスポーツだし、大切なめいそうのし方である。弓道のゆっくりした動きのおかげで、「どずくり」と「うちおこし」と「かい」と言う形がわかりやすいから、外国人も興味をもってきたのである。

まず、京都に着いたばかりの時に弓道を練習し始めた。そして、練習が一週間に二回ある。普通、始める前に先生にあいさつして、正座をしている間に礼(れい)記(き)射義(しゃぎ)をあんしょうして、おじぎする。それから、ゆがけと言うてぶくろをはめる。練習はまきわらと言うわらの的を繰り返している。でも、いるのは矢をはなすことだけと言うわけではない。せいしゃせいちゅうと言う考え方があって、つまり完璧にいったら、矢がいつも的にあたると言う考えだ。弓道はゆっくりだから、分かるようになれる感じがする。アメリカでしたスポーツと比べて大変違うので、面白いと思う。

京都武道センターで練習しているので、他の弓道の生徒はいろいろな人だ。年上の30歳、50歳ぐらいの女の人や男の人が普通なので、私はいつも「~です」とか「~ます」と使っている。話している時に時々分からないが、その生徒たちは優しく我慢強い人ので、大丈夫だと思う。多分、いつか弓道をできるようになって、皆さんと友達にもなれると思う。がんばります!